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『魍魎の匣』 京極夏彦 [京極夏彦]

京極夏彦の『魍魎の匣』を再読しました。
日本推理作家協会賞受賞作品です。

魍魎の匣

魍魎の匣

  • 作者: 京極 夏彦
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2004/01
  • メディア: 単行本


昨年末に堤真一が中禅寺秋彦を演じた映画を見て、
「いや、原作はこんなはずではない!」
と思い、再読しました。

のちの『鉄鼠の檻』や『絡新婦の理』などと比べるとプロットは意外にシンプル。初読のときはずいぶんと複雑な話だ、と思ったものでしたが。
慣れですね。

最大の謎は、警察官を含む衆人環視の中で消失した重体の少女。
いかにして、一瞬うちに病室から、そして病院(というかオカシナ研究所)から消えたのか。
ミステリにとって永遠のテーマのひとつ「人間消失」モノです。
そのいかにも本格ミステリ的な話を縦軸に、「匣」にまつわるいくつかのエピソードが同時進行していき、結末で見事に収斂します。
京極夏彦の代表作と言ってよい出来です。

『魍魎の匣』では多くの登場人物が出てきますが、それぞれの描き分けが上手い。
似たようなキャラクターはおらず、会話を読んでいるだけで誰だかわかります。
「うへえ」が口癖の雑誌記者・鳥口は、この長編から登場したレギュラーです。なかなかよい味を出しています。
ただ、レギュラーのひとり、薔薇十字探偵社の探偵、榎木津礼二郎は、まだこのあたりでは大人しめに描かれているのに驚き。『塗仏の宴』あたりからは、はちゃめちゃなキャラクターになってます(マンガ的に)。

展開も真相も判っていながら、今回もぐいぐいと引き込まれました。
デビュー第2作でこのレベルですから恐れ入ります。

オリジナリティが高く、似たようなミステリをあまり思い浮かべることができない京極夏彦の小説ですが、この『魍魎の匣』は明確な“本歌取り”です。
そうですね、江戸川乱歩の名作「押絵と旅する男」です。
「押し絵」にあたるのが、「匣」です。
列車の中で不思議な押し絵を持っていた男と出会う“私”。もし“私”が男が持っていたような押し絵が欲しくなったら、自分も同じような押し絵を作ってみようと本気で考えたら……
娘の入った匣を見て、自分も同じものが欲しくなった男の悲劇。
そしてまた、「匣と旅する男」の物語でもあります。


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『邪魅の雫』 京極夏彦 [京極夏彦]

京極堂シリーズ第8作、『邪魅(じゃみ)の雫(しずく)』 を読みました。

東京都と神奈川県で発生した複数の毒殺事件。
どの事件にも、ある特殊な青酸系の毒物が使用されていることが判り、警察は連続殺人事件として合同捜査本部を設置する。
一方、薔薇十字探偵社の榎木津礼二郎の縁談が次々と破談になる。それも実際に合う前に、先方から断りを入れてくるという。原因を突き止めるべく薔薇十字探偵社の益田が調査に取りかかったところ、榎木津とお見合いするはずだった令嬢たちと、連続毒殺事件の関係者が微妙にリンクしていることに気づく。
毒殺事件の捜査も進み、この毒物が旧陸軍の某機関と関係があることが判明。背後には、731部隊や帝銀事件の影がちらつく……

他人とうまく関われない者たちが、それでも懸命に他者とつながろうと格闘し、それが殺人事件を呼んでしまう。『邪魅の雫』は、喜劇とも読めるかもしれません。
しかし、喜劇とするには、あまりにも悲しい物語であります。

前作 『陰摩羅鬼の瑕』 がシンプルな構造の物語だったのに対し、この『邪魅の雫』では、京極小説らしい複雑怪奇なプロットが復活しています。
込み入った物語の中で、登場人物たちばかりでなく、読者さえも目眩を起こしてしまいそうになる感覚。そして、その混沌から読者を救い出してくれる中禅寺秋彦の語り=騙り。
『陰摩羅鬼の瑕』では、シリーズ失速を感じましたが、今作で少し持ち直しました。

しかし、それでも『絡新婦の理』や『塗仏の宴』の魅力とは比ぶべくもありません。
今回は、それらでも使われていた「あるアイデア」をさらに深化させています。犯人の「計画」はより巧妙になっています。
ただ、ひとつひとつの事件が平凡なため、そして淡々と描かれるため、ストーリーに起伏が乏しく、物語の流れに勢いがありません。
最後まで読み終えたとき、作品全体の構図に舌を巻きますが、『塗仏の宴』までの作品が持っていた、読書中の疾走感はだいぶ落ちてしまっています。

どうも、このシリーズは、『絡新婦の理』を頂点として下降気味であるような気がしてなりません。
すでに題名が予告されている“次回作”に、かなり期待です。

評価は、★★★☆ です。


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『陰摩羅鬼の瑕』 京極夏彦 [京極夏彦]

信州白樺湖畔の大邸宅に住む由良元伯爵に嫁いだ花嫁は、過去4人とも新婚初夜の明け方に殺害された。いま5人目の花嫁が元伯爵と結婚しようとしていた。花嫁の命を守るために、探偵・榎木津礼二郎と作家・関口巽が邸宅に招かれるが、榎木津が一時的に視力を失い、関口は途方に暮れる……
京極夏彦の 『陰摩羅鬼(おんもらき)の瑕(きず)』 を読みました。

花嫁が初夜に殺害される、といえば、探偵小説好きが思い浮かべるのは、横溝正史の 『本陣殺人事件』 ですね。舞台が信州の湖畔であったり(『犬神家の一族』)、「由良家」という名前といい(『悪魔の手毬唄』)、横溝正史へのオマージュが感じられます。
「感じられる」どころではなく、じつは横溝正史ご本人が登場人物のひとりとして出演しています。
本編の記述者である作家・関口は、「大横溝」と話せた、と感激しておりますから、オマージュがこめられていることは明白です。

さて、『陰摩羅鬼の瑕』 は、前作 『塗仏の宴』 と前々作 『絡新婦の理』 が大勢の登場人物が複雑怪奇なプロットの中でうごめくカオスのような事件を中禅寺秋彦が整然とした真相として解釈する物語であったのとは対照的に、すっきりしたストリートと絞りこんだ登場人物たちからなっています。

私が読んだ京極夏彦の長編はこれで7作目ですが、初めて真相に途中で気づくことができました。
疑わしい人物はほとんどいませんし、手がかりがかなり大胆に提示されています。探偵小説の鬼であるJDC会員のみなさんなら、私同様に真相を見破ることでしょう。

しかし、それはこのミステリの面白さとはあまり関係がありません。
作者も、最後まで真相を伏せておこうとはしていないと思われます。
なにせ、今回はあの“史上最弱のワトスン役”である関口巽が、中禅寺秋彦が到着する前に真相に気づいているくらいですから。

この不可能犯罪を可能とする「世界」を構築するために作者が費やした筆に注目すべきでしょう。
作品では、儒学や実存主義、林羅山やハイデガーなどの哲学的な衒学趣味が横溢しています。
(文庫版の解説は、なんと木田元)
それらがヴァン・ダインの小説のような単なる飾りではなく、一種のミス・ディレクションになっているところがポイントです。登場人物のひとりが繰り返す「問い」の真の意味を、カムフラージュしているのです。なかなか巧みであります。
(このへんのニュアンスは読んだ方でないとわかりません。すみません。)
なので、中禅寺秋彦が語る蘊蓄も、今回は飛ばさずにしっかり読んでおきましょう。

シンプルな作品になったせいか、木場刑事や中禅寺敦子など、おなじみのレギュラーの活躍が少ないか、まったくなく、榎木津も登場する場面は多いものの、視力を失っているので借りてきたネコのよう。
少し魅力が落ちるので、評価は ★★★ にしておきます。
さて、次はいよいよ 『邪魅の雫』。やっと最新刊に追いつきました(汗)。


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『塗仏の宴』 京極夏彦 [京極夏彦]

2週間かけてようやく読み終わりました。京極堂シリーズ第6弾、『塗仏の宴』です。

現在のところ、シリーズ最長です。分冊文庫版にして6冊!

前半は『塗仏の宴 宴の支度』として、6つの中編が収録されています。
それぞれ異なった新興宗教団体がからむ不可思議な事件を、中禅寺秋彦、榎木津礼次郎、木場修太郎ら、レギュラーメンバーが一応の解決に導きますが、それぞれの背景が微妙につながっていることが暗示されます。そして、最後の中編で、ワトソン役の関口巽が殺人容疑者として逮捕されてしまいます。
後半の『塗仏の宴 宴の始末』は、いわば解決編。膨大なエピソードが表向きとは異なった真の意味を付与され、ひとつの「計画」の一部として整理されていくさまは圧巻です。分冊文庫版の最後の1冊は、読むのを止められなくて、読了したのは午前4時でした(汗;)。

前作『絡新婦の理』が、古典的な本格ミステリの様式美を備えていたのに比べ、この『塗仏の宴』は、かなり「本格色」の薄い作品です。フェアプレイの概念はないに等しく、次々に繰り出される「真相」に読者はただ仰天するばかり。

『塗仏の宴』は本格ミステリというより、あえて言うと冒険小説でしょうか。
中善寺の妹、雑誌記者の敦子が「韓流気道会」なる怪しい柔術を用いる団体の襲撃を受けるも、ケンカに強い探偵・榎木津が相手を殲滅したり、その「韓流気道会」が中国の武道を操る漢方医と対決したりと、なにかと拳が飛び交う血の気の多いストーリー。
怪しい団体どもが、伊豆韮山の山中にあると信じている“モノ”を巡って抗争を繰り広げるところなど、京極版 『マルタの鷹』 といったかんじです。

ただ、作品の完成度は前作『絡新婦の理』と比較すると、少し落ちているようです。
『姑獲鳥の夏』から『絡新婦の理』までの5つの長編では、それぞれの事件の性質を象徴する妖怪が用意されていました。
今回の「塗仏」というのは、名前と姿しか判らない妖怪だそうで、どうすると出てくる、とか、出たときどういう悪さをするのか、というデータが伝わっていないのだそうです。それだと象徴として機能しませんね。それから、前半の6つの中編それぞれに「ぬっぺっぽう」とか「ひょうすべ」とか、各事件の象徴たる妖怪が配されたため、妖怪が多数登場し、焦点がぼやけた感があります。

また、今回は、「中禅寺秋彦 自身の事件」でもあり、中禅寺は初めからすべてを見通しております。「推理」以前の問題であり、名探偵の解決を拝聴するカタルシスが不足しております。

ともあれ、後半の手に汗握る展開はシリーズ随一で、評価は ★★★★ です。
それから願望ですが、今後のシリーズは、せめて『魍魎の匣』くらいの長さに収めてもらえるとうれしいですね。



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『絡新婦の理』 京極夏彦 [京極夏彦]

ようやく京極夏彦の『絡新婦の理』を読み終わりました。
“京極堂シリーズ”第5弾です。

次々と目を突き刺して女性を殺害する「目潰し魔」の事件と、千葉県の房総半島にある女学校を舞台にした連続殺人事件。
まったく別の事件と思いきや、やがて徐々に二つの事件は交叉していきます。
登場人物を書き出して関係を示したノートを作らざるをえなかったほどの複雑なプロットで、物語は展開していきます。

この物語を「本格ミステリ」としない人もいるかもしれません。
確かにエラリー・クイーンのような端正な推理によって事件の真相が暴かれるわけではありません。例えすべての伏線を拾うことができたとしても、“京極堂”こと中禅寺秋彦と同様の「推理」を展開できる読者は皆無でしょう。
また、登場人物を集めた“謎解き”=“憑き物落とし”の場面では、読者に知らされていないデータを中禅寺秋彦がつかんでいたりする始末。

しかしそれでも私はこの作品を「本格ミステリ」として楽しみました。
事件とその周囲に溢れる様々な出来事のつながりをいったん解体し、出来事を再配置して、「真相」を浮かび上がらせていく物語。その役割を担うのは「あらゆる点を因果の流れの中に位置づける透視力」(巽昌章の『絡新婦の理』解説より)を持つ“名探偵”。まさに「本格ミステリ」というフォーマットが紡ぎ出してきた物語であると言えましょう。

巽昌章は『絡新婦の理』をこう表現しています。
「あたかも静止画像で見た大爆発の寸前のような、極限まで膨らみながら不吉な穏やかさを保つ美しい球体」

絶妙な表現です。
爆発し、はじけてしまったミステリは、「壊れて」しまっているのです。
またも巽の文章を引用します。
「これら(清涼院流水の『コズミック』や舞城王太郎の作品など)が際限なく拡がってゆく因果の構図を描いた作品であることはいうまでもないが、『絡新婦の理』の端正な仕上がりに比べれば、良くも悪くも「壊れて」しまっている。」

巽は『絡新婦の理』を「端正な仕上がり」と評し、笠井潔は『探偵小説と記号的人物』の中で「探偵小説形式の枠内にとどまろうする京極夏彦」と整理しています。
私の認識も基本的には同じです。
『絡新婦の理』は「探偵小説形式の枠内にとどまる端正な本格ミステリ」なのです。

「本格」の中に止まりながら、いかにして新しい表現を作り上げていくのか。その難問に成功した希有な作家が京極夏彦なのでしょう。
「端正な本格」に「壊れた本格」を単純に対置させることを笠井潔は批判していますが、「端正な本格」派としては、「壊れた本格」が仮想敵に思えてしまうものです。

そろそろ、ついに「壊れた本格」を読むべき段階に来たのかもしれません。

ということで、『絡新婦の理』は現代本格について深く考えさせてくれた作品でもありましたし、たんなる「本格ミステリ」としても楽しめる作品です。名探偵による“解決シーン”(この場合は“憑き物落とし”ですが)に高揚したのは久しぶりです。

よって評価は、 ★★★★ です。
(ちなみに、★5つは『獄門島』クラスの歴史的名作にしか付けないので、★4つは最高級ということで。)


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